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[参考書籍] 神秘思想家 ゲオルギイ・グルジエフの概略と関連する著書まとめ

アルメニア共和国の神秘主義者、作曲家、精神指導者であり、20世紀最大のオカルティスト、魔術師、超能力者として、今も大きな影響力を持つ人物に関する著書の纏め。 グルジェフが教えた道は、その後の20世紀のニューエージ運動、スピリチュアルな潮流に多大な影響を与えたと言われている。

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ゲオルギイ・グルジエフの概略

1866年、ギリシャ系の父とアルメニア系の母のもとに当時ロシア領であったアルメニアに生まれる。(母国語はギリシャ語)

1895年、「心理の探求者たち」(Seekers of Truth)という超常現象を共同で研究するという目的のグループを結成、それは医者、考古学者、画家、聖職者がメンバーとなり、ペルシア、アフガニスタン、トルコ、チベット、インド、などを回り、遺跡発掘、僧院の訪問、伝承、象徴、音楽、舞踏などの研究にあたる。

1904年、トランスコーカサスでの3度目の被弾で重傷を負い身体を回復させ、このと き精神的な転機を迎える。

1910年代、ロシアで「エニアグラム」の元となる性格分析を世界で初めて広める。

1912年、「人間の調和的発展のための学院」という名で、それまで学んだこを人々実生活導入する 「ヘルパーもしくインストラクター」を養成するための学院の設立を開始。 ロシアの中心モスクワがふさわしいと考えられた。2年間の奮闘、ロシア各地で講演を行い、科学者、医者、作家、芸術家達が多いに関心を寄せ急速に形が整えられた。第一次世界大戦、ロシア革命によりロシアでの活動を断念し各国を回りフランスへたどり着く。ロシアにいた時の彼の総資産は現在のお金に換算し約1,300億円あったといわれているがこの混乱により物質的な財産はほぼ全てを失う。

1922年、グルジエフは、パリ近郊のフォンテーヌブローにある歴史的な城館、シャトー・プリオーレ に高次の意識を覚醒させるための学院をおきそこに居住する。

1924年、パリからプリオーレへの帰路で太い木にぶつかる自動車事故で遭い、5日間の昏睡状態となり、一命をとりとめる。これをきっかけにグルジェフは元生徒らとの関係を清算し、執筆活動に専念する。

1949年10月29日 、 フランスにて亡くなる

グルジェフ・システムは、大雑把に纏めると、著作、神聖舞踊、ムーヴメンツ、エクササイズ、音楽、そして内的な教えから成り立っている。

重要なのは、人がどんな外的な環境や現実なかに生きている かということより、人内的な構造であり、人が現実に対してどような態度で接するかということである。私の内側世界に新しく生まれた目標、人々を容易に「集団催眠」支配下に陥れる要因 として「外部から影響へ弱さ」を人々から取り除くため手段なり方法なりをどんな代償を払ってでも見つけなければならないという思いに根ざしたもだった。

著名なところでは、東京駅や帝国ホテルを設計した「フランク・ロイド・ライト」や、映画監督「ピーター・ブルック」、米国のジャズピアニスト「キース・ジャレット」、ロック・バンド「キング・クリムゾン」「ロバート・フリップ」など多くのアーティストにも影響を与えた人物。

G.I.グルジェフ 著書の3部作

グルジエフはこれらは必ず順番どおりに読むように求めた。もともとロシア語とアルメニア語で書かれたものを生徒たちが英語に翻訳。ベゼルバブを読み始めると噂通り難解!(笑)、彼の生い立ちや旅行中に出会い多大な影響を受けた人物についての話が纏められ映画化もされた第2作目「注目すべき人々との出会い」が読みやすくおすすめです。

『 ベルゼバブの孫への話 – 人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判』 

グルジエフの主著で原書で千ページを越える超大作。人間はどこへ向かうのか。賢者ベルゼバブが語る、惑星地球の三脳生物=人間<思考><感情><動作>をめぐる大宇宙史。 著者は冒頭で「何世紀にもわたって人間の中に根づいてきた、この宇宙に存在するすべてのものに関する信念や見解を、いかなる妥協も許さず、情容赦なく、読者の思考および感情の中から駆逐すること」と語ります。ベルゼバブの孫への話―人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判

出版社: 平河出版社 (1990/08)

「この本の研究は知識と知性の両方を与えてくれる」(C.S.ノット) 。「これを理解するにはものすごい知的準備が必要だと言った」(ウスペンスキー)

『 注目すべき人々との出会い 』 

注目すべき人々との出会い
注目すべき人々との出会い [DVD]
注目すべき人々との出会い: 新訳版 全体とすべて[Kindle]https://youtu.be/UKPwZqUUrQo

『 生は<私が存在し>て初めて真実となる 』 

未完のままに出版されたグルジェフ三部作の最後の作品。 「<彼>は全世界の神であり、同時に私の外なる世界の神でもある。私も神であるが、それは私の内なる世界の神であるにすぎない」生は「私が存在し」て初めて真実となる

G.I.グルジェフの講話や対話の記録

『 グルジエフ弟子たちに語る』 

グルジェフ・弟子たちに語る (1985年)

G.I.グルジェフ (著) 、 出版社: めるくま-る社 (1985/09)

『 垣間見た真理 グルジェフ初期文献集 』 

垣間見た真理 グルジェフ初期文献集

『 エニアグラム講義録 』 

「幾何学的象徴に関する講話」(Lecture on Symbolism)とも呼ばれるこの講義録は、ウスペンスキー『奇跡を求めて』の十四章「エニアグラム」の情報源として使われたもの。グルジェフ エニアグラム講義録 グルジェフ初期文献集

『 魔術師たちの闘争 グルジェフ初期文献集 』 

同題のバレエ劇のためにグルジェフが作成したシナリオ。全五幕。 魔術師たちの闘争 グルジェフ初期文献集

『 来たるべき善きものの先触れ: 現代人に向けての最初の呼びかけ 』 

1933年パリで発行された小冊子。グルジェフが生きている間に発行した唯一の出版物。元生徒らに対する告発的な言辞や精神世界に関心をもつ人たちへの軽蔑的な発言により、多大な反発を招いた。多大な反発や誤解の原因となり、グルジェフがのちに回収した小冊子。来たるべき善きものの先触れ: 現代人に向けての最初の呼びかけ

『 グルジェフ ミーティングの記録 1941~1946 』 

グルジェフが第二次大戦中にパリの自宅のアパルトマンで定期的に開いていたミーティングの記録。グルジェフ自身の指示により、きわどい内容のやりとりやジョークまで含めて克明に記録されている。グルジェフ ミーティングの記録 1941~1946

『 グルジェフ講話録 第一編: ロシア~コーカサス~ドイツ 』 

ロシア脱出後のベルリンとロンドンでの講話と対話の記録。六割を占める第一部は、P・D・ウスペンスキー『奇跡を求めて』から厳選した抜粋。第二部・第三部は、エッセントゥキ、ベルリン、ロンドンでの講話の記録。グルジェフ講話録 第一編: ロシア~コーカサス~ドイツ

『 グルジェフ講話録 第二編: フランス 』 

フォンテーヌブローのシャトー・ドゥ・プリオーレに開設された「人間の調和的発展のための学院」の活動最盛期における講義を主体とするフランスでの講話の記録。頭・心・体の「三つのセンター」の間での動的な関係性に留意して、隷属的な生のありかたからの解放を志向する学院の実践的なアプローチの詳細を伝える珠玉の講話禄。グルジェフ講話録 第二編: フランス

『 グルジェフ講話録 第三編: アメリカ 』 

フランスの学院での講話を集めた第二編に続き、頭・心・体の調和的発展を求める学院のアプローチの実践的な側面が詳細に語られる。グルジェフ講話録 第三編: アメリカ

弟子たちの著書

『奇蹟を求めて―グルジェフの神秘宇宙論 』 P.D.ウスペンスキー 

1878年生、ロシアの神秘思想家。モスクワでジャーナリストとして活躍する傍ら、神秘学、数学、哲学などの研究を行い著作を著す。帰属意識から離れた、独立した精神からの考察を行う。グルジェフと共に旅をし、学んでいくという過程を記録したものでウスペンスキーがグルジエフから伝聞した内容を書き綴った本であり、グルジェフはこれを感謝をもって認めている。1931年には両者訣別。第14章ではエニアグラムの事について語られている。奇蹟を求めて―グルジェフの神秘宇宙論 (mind books)

P.D.ウスペンスキー(著) 出版社: 平河出版社 (1981/02)

『グルジェフと共に』 トーマス&オルガ・ド・ハートマン

トーマス・ド・ハートマン(1885 – 1956)
グルジェフの弟子であるロシアの作曲家で、グルジェフと音楽について密接に作業を進め、自らも一連の傑作を残す。主要な作品としては、P.D.ウスペンスキーに捧げられた「ピアノ・ソナタ第2番」、ロシアの民話や幻想的な伝承を採集した「12のロシア伝承」、グルジェフとの精神的共感の中から生まれた「偉大なる寺院の讃歌」、「スーフィー教団の儀礼」。グルジェフと出会い、師と仰ぎロシアからフランスパリのプリオーレまでの命をかけた移動の中でグルジェフから課されたワーク(貴族階級であったのに行商を課せられたり)についての実体験と彼らの思い、そしてグルジェフのワークについて最も身近な立ち位置から率直に書いている。波乱万丈な旅行記のようてもあり読みやすい。共著となっているのは、元々トーマス氏が書いた著書に妻であるオルガが書いた本が新たに追加された事による。グルジェフと共に

『魁偉の残像』フリッツ・ピータース

当時13歳だったアメリカ生まれの男性が、家族の問題により、グルジェフが設立したフランスのプリオーレで暮らすようになり、そこで彼の部屋係の役割を主として暮らした数年間に彼の師であるグルジェフとの間に起きたエピソードを伝えている。グルジェフィアンの中では問題視されている人物。魁偉の残像 グルジェフと暮らした少年時代

『 グルジェフ・ワーク―生涯と思想 』K.R.スピース 

グルジェフのアシュラムで生まれ育ち、後にカリフォルニアのITP(トランスパーソナル心理学研究所)の所員として活躍する、キャサリン・スピースの著書。グルジェフ・ワーク―生涯と思想 (mind books)

出版社: 平河出版社 (1982/08)

『グルジェフ伝 神話の解剖』 ジェイムズ・ムア

1929年、イギリスに生まれ、長年陸軍省に勤務するが1980年頃より執筆活動に専念。1956年以降、団体に参加し、グルジェフ・ソサエティのリーダーとして活躍したジェイムズ・ムアの著書。本書は、膨大な資料・証言をもとに、徹底した検証をとおして世紀の神秘思想家グルジェフの生涯を描きあげた労作。グルジェフ伝―神話の解剖

出版社: 平河出版社 (2002/3/1) 

『 回想のグルジェフ―ある弟子の手記 』 C.S. ノット

1887年、イギリスに生まれ、13歳で学校は退学、「世界は何為にあるのだろうか?」という問いをもち第一次世界大戦後に2年間世界中を放浪しNYでは詩人、画家、音楽家たちが集まり議論を交わす書店を経営していた C.S. ノットの著書。1923年に文芸評論家のオレイジを介してグルジェフを知りその思想に共鳴。パリ時代のグルジェフとその門弟たちとの神話的な日々を回顧し、巨星の人間像を鮮烈に描き出した、愛弟子による魂の記録。グルジェフの思想に興味を持ち始めた初心者を意識して書かれた本でありはじめの一歩としておすすめ出来る本。回想のグルジェフ―ある弟子の手記

出版社: コスモスライブラリー (2002/1/1)

グルジェフの肉体派の弟子、チェコヴィッチの回想録

1921年の出会いより、コンスタンチノープルからフランス、アメリカに至るまでグルジェフと行動を共にし、28年にわたり親密な関わりを維持した帝政ロシアの元青年士官で、レスリングのチャンピオン、サーカスの力士などの経歴をもち、グルジェフの学院での共同生活、ムーヴメンツのアメリカ公演への参加といった経験を経てパリでパン工房を経営するに至ったチェスラヴ・チェコヴィッチのグルジェフの思い出。

チェコヴィッチの回想録:グルジェフ氏の思い出: 第一編 コンスタンチノープルからベルリンへ 

最初の出会いから共にヨーロッパを訪れるまで。チェコヴィッチの回想録:グルジェフ氏の思い出: 第一編 コンスタンチノープルからベルリンへ

チェコヴィッチの回想録:グルジェフ氏の思い出: 第二編 フランスの学院での活動とアメリカ訪問

ムーヴメンツのアメリカ公演への参加など。アメリカでは刺激的な事に期待する聴衆で会場は溢れかえっていた。

「一人が救われたならば、その一人は百人を救う。百人は千人を、千人は百万人を救う。この百万人の幸せは、百万の苦しみと百万の不幸せの埋め合わせをする。そして数億の 人間が、彼らのなかに現れたこの新しい人類のプレゼンスから幸せを感じる。」

チェコヴィッチの回想録:グルジェフ氏の思い出: 第二編 フランスの学院での活動とアメリカ訪問

チェコヴィッチの回想録:グルジェフ氏の思い出: 第三編 パリでの晩年ほか

第三編には1924年の自動車事故後の試練の日々と晩年のパリでの逸話、グルジェフの家族をめぐる秘話、チェコヴィッチ自身をめぐる驚くべきストーリーが収録されている。チェコヴィッチの回想録:グルジェフ氏の思い出: 第三編 パリでの晩年ほか

グルジェフのムーブメンツ、エクササイズ

グルジェフは舞踊家、振付家、としても知られており、膨大な数の申請舞踊、民族舞踊、エクササイズを収集し、そこから発想を得て、舞踊、ムーブメンツを創作した。それらの多くはエニアグラムというシンボルに基づいている。 「神聖舞踏」「覚醒の舞踏」「西洋の禅」と呼ばれる。

『 覚醒の舞踏―グルジェフ・ムーヴメンツ 創造と進化の図絵 』 郷 尚文 

1988年ごろからグルジェフに関係する複数のグループと関わりをもち、『ベルゼバブ』をはじめとするグルジェフの著書の翻訳にあたる「郷 尚文」の著書。和尚コミューン(インド・プネー)でムーヴメンツを学び、1989年から2001年まで、Osho Commune International(インド)でのグルジェフ・ムーヴメンツをめぐる活動に関与。1997年より、日本、インド、ロシア、トルコなどでムーヴメンツのグループを主宰。覚醒の舞踏―グルジェフ・ムーヴメンツ 創造と進化の図絵

グルジェフが作曲した音楽

グルジェフは日常的なワークの一環として音楽を位置づけていた。そこから音楽自体が独立して「客観芸術」としてある一定の情緒反応を聴衆に引き起こすことを強調していた。

Gurdjieff – De Hartmann Piano Music [youtube]The Complete Piano Music of Georges I. Gurdjieff & Thomas de Hartmann, Vol. 1: Seekers of the Truth